この記事でお伝えしたいこと
- 「吹田」の地名は約1,300年前の文献にある「次田(すきた)」が語源で、音変化や字体の類似から現在の表記になったとされる説が有力です。
- 高浜神社に伝わる「次田連(すきたのむらじ)」伝説や、豊かな地下水・湧水にちなむ「水が吹き出す田」説など、歴史と水の深い関わりがあります。
- 神崎川の水運や旧街道沿いの在郷町として栄えた歴史が、現在の内本町・高浜町・南高浜町などの味わいある街並みや路地に残っています。
私たちは普段、当たり前のように「吹田」という名前を使っています。
吹田市、JR吹田駅、吹田インター、吹田市役所。
住宅や土地をご紹介するときも、「吹田」という言葉を使わない日はほとんどありません。
でも、ふと思ったんです。
そもそも、なぜこの街は「吹田」という名前なのでしょうか。
「吹く」に「田んぼ」と書いて吹田。
風が吹く田んぼだったのか。それとも水が吹き出していたのか。
地元で住宅・不動産の仕事をしている会社なのに、考えてみれば「吹田」という名前そのものの由来をきちんと調べたことがありませんでした。
そこで今回は、吹田市の資料や市立博物館の情報、地域に残る伝承などをもとに、吹田という名前のルーツを調べてみました。
調べていくと、今の内本町や高浜町、南高浜町の街並みまで、少し違って見えてきます。
実は、昔は「吹田」ではなく「次田」だった
まず驚いたのが、最初から「吹田」と書いていたわけではないことです。
吹田市によると、『行基年譜』には、
「嶋下郡次田里」
「次田堀川」
という記載があります。
この「次田」は、「すきた」と読んだと考えられています。
そして「すきた」という呼び方が、長い年月の中で音便によって「すいた」へ変化し、さらに草書体で書いた「次」の字と形が似ている「吹」という字が使われるようになった――。
これが現在、吹田市が公式に紹介している地名の由来です。
つまり、
次田(すきた)
↓
すいた
↓
吹田
という変化です。
しかも「次田堀川」が文献に登場するのは天平13年、西暦741年。
今から約1,300年前には、すでにこの地域を示す「すきた」という名前が存在していたことになります。
「吹田市」ができるずっと前から、「すいた」の原型となる名前があったわけです。
では、なぜ「次田」と呼ばれたのか?
ここからが少し面白くなります。
「次田が吹田になった」という流れは市の資料から分かります。
では、そもそもなぜ「次田」だったのでしょうか。
ここについては、はっきり一つの答えが決まっているわけではありません。
旧吹田の中心部にある高浜神社には、一つの伝承が残っています。
高浜神社によると、この地域には昔、「次田連(すきたのむらじ)」という一族が住んでおり、そのことから「次田」と呼ばれるようになったと伝えられています。
高浜神社そのものも、昔は「吹田神社」などと呼ばれ、次田連が祖先を祀ったことに始まると伝えられています。
もちろん、これは歴史資料によって完全に確定した地名由来というより、地域に残る伝承として見るべきでしょう。
ただ、現在も高浜神社が建つこの場所と「吹田」という名前に、非常に古い関係があることは興味深いところです。
【写真① 高浜神社の鳥居・境内】
普段何気なく前を通っている神社も、こうした背景を知ってから見ると、少し印象が変わります。
「水が吹き出した田んぼ」だったという説もある
実は調べていると、もう一つ非常に分かりやすい説が出てきました。
それが、
「水が吹き出した田んぼだから吹田」
という説です。
2021年に放送された吹田市の広報番組では、水道部の説明として、水が吹き出す田から「フキタ」と呼ばれ、それが吹田になったという説が紹介されています。
現在の吹田市の歴史ページでは「次田(すきた)」から変化したという説明が中心なので、こちらを地名由来として断定するのは避けた方がよさそうです。
ただし、「吹田=水」というイメージそのものは、決して根拠のない話ではありません。
昔の吹田は、本当に水に恵まれた土地でした。
吹田の南部は神崎川、糸田川、高川などに囲まれ、千里丘陵からの地下水にも恵まれていました。
さらに、
「垂水神社の滝」
「佐井の清水」
「泉殿宮の湧き水」
は「吹田三名水」と呼ばれていました。
現在は泉殿宮の湧水など、当時と同じ姿で見ることができないものもありますが、吹田が昔から「水の豊かな土地」だったことは確かなようです。
【写真② 泉殿宮】

地名の直接的な由来なのかは分からなくても、吹田と水には、かなり深い関係があったんですね。
吹田が栄えた理由には「神崎川」があった
吹田の歴史を調べていると、何度も登場する場所があります。
神崎川です。
延暦4年、785年に、当時「三国川」と呼ばれていた神崎川と淀川を直結する工事が行われました。
その後、吹田は水運の拠点として発展していきます。
江戸時代になると、吹田は農村でありながら、淀川・神崎川の舟運を通じて大坂と強く結びついていました。
現在の上高浜橋付近には「吹田の渡し」があり、大坂と北摂方面を結ぶ重要な渡し場だったことが、市立博物館の資料にも残っています。
【写真③ 神崎川・上高浜橋付近】

今の神崎川を眺めていると、ここを大勢の人や物資が行き来していたとはなかなか想像できません。
でも、この川がなければ、吹田という町の発展も今とは違ったものになっていたのかもしれません。
今も残る「吹田発祥の地」
そして神崎川から北へ歩いていくと、内本町、高浜町、南高浜町があります。
このあたりを歩くと、JR吹田駅周辺や千里ニュータウンとはまったく違う街並みが残っています。
細い道。
少し曲がった路地。
昔からある寺社。
街道沿いの町並み。
古い道標。
実はこれにも理由があります。
吹田市は、内本町・南高浜町周辺について、吹田の渡しを経て、旧亀岡街道・旧吹田街道を中心に在郷町として栄えた「吹田発祥の地」と説明しています。
【写真④ 旧亀岡街道・南町道標】

【写真⑤ 南高浜町の路地】

私たちは土地を見ていると、
「この道はどうしてこんなに細いんだろう」
「なぜこの場所だけ敷地が複雑な形をしているんだろう」
と思うことがあります。
もちろん個々の道路や土地にはそれぞれの事情がありますが、街全体を見れば、現在の道路や町割りの奥に、昔の集落や街道の記憶が残っている場所もあります。
住宅や不動産の仕事をしていると、道路は幅員や接道条件として見ることが多いものです。
でも少し視点を変えると、その道が何百年も前から人が行き来してきた道だった、ということもある。
そう考えると、街を見るのが少し面白くなります。
「吹田」という名前を調べたら、今の街につながった
今回、「吹田という名前はどこから来たのだろう」という素朴な疑問から調べ始めました。
分かったのは、単なる漢字の由来だけではありませんでした。
約1,300年前の「次田」。
豊かな水。
神崎川の舟運。
吹田の渡し。
旧亀岡街道や旧吹田街道。
そして、その周辺に形成された現在の内本町、高浜町、南高浜町。
一つずつ調べていくと、全部が今の吹田につながっています。
普段、私たちは土地や建物を見るとき、どうしても「現在」を見ます。
駅から何分か。
前面道路は何メートルか。
土地は何坪か。
どんな家が建てられるか。
もちろん、それは住宅会社として大切なことです。
でも、その土地がどんな場所だったのかを知ると、いつも見ている街にも別の表情が見えてきます。
吹田には、まだまだ私たち自身も知らない歴史がありそうです。
これから少しずつ、地元の住宅会社の目線で「吹田という街」を調べてみたいと思います。
次に旧吹田の街を歩くときは、ぜひ道の形や神社、道標にも目を向けてみてください。
何気なく歩いていた道の中に、昔の吹田が残っているかもしれません。
この記事を書いた人
今 利之(こん・としゆき)
アイワホーム株式会社 マーケティングディレクター
2005年入社、吹田の地で21年。新築営業・リフォーム・メンテナンス、賃貸、工事部門など、現場の最前線で歩んできました。
アイワホーム株式会社
大阪府吹田市高浜町9-9 アイワステーションビルⅤ号館
フリーダイヤル:0120-359-395
https://aiwahome.com/
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アイワホーム株式会社
本社:大阪府吹田市高浜町9-9 アイワステーションビルⅤ号館
※吹田市での家づくり、土地探しなら地域密着の私たちにお任せください。
参考資料
・吹田市「吹田市の歴史」
・吹田市「内本町・南高浜町周辺のまちづくり」
・吹田市立博物館「近世の吹田」
・高浜神社「由緒」
・吹田市「市の名産・吹田くわい」
