「片山神社なのに、住所は片山町じゃない」

そんな話をお客様にしたら、意外と驚かれました。

片山神社があるのは、現在の住所でいうと吹田市出口町。片山町ではありません。

日々、吹田の土地や建物に携わっていると、こういう「今の地図だけでは説明がつかない話」にちょくちょく出会います。今回は、JR吹田駅の北側から千里丘陵へ向かって広がる「片山町」を入り口に、約800年前までさかのぼる歴史を調べてみました。

この記事でお伝えしたいこと

  • 鎌倉時代・延応2年(1240年)の勝尾寺文書に登場する「垂水御牧片山村」の記録
  • 現在の出口町・原町・山手町・千里山東まで広がっていた旧片山村の広大な領域
  • なぜ片山神社の所在地が出口町なのか、片山町1丁目が旧片山村ではない「町名のねじれ」
  • 片山東屋敷廻遺跡に見る古墳〜平安期の営みと、江戸〜昭和初期の「天道・竹内瓦窯」
  • 明治22年の千里村(ちさとむら)誕生から昭和15年の吹田市合併への変遷

「片山」という地名は、鎌倉時代にはすでにあった

「片山」という地名の記録は、かなり古くまでさかのぼります。

確認できるものの一つが、延応2年(1240年)の文書です。勝尾寺に残る資料の中に、

「垂水御牧片山村」

という記述が登場します。つまり鎌倉時代には、すでにこの地域が「片山村」と呼ばれていたことになります。2026年から数えると、およそ800年前です。

当時の片山村は千里丘陵の南東部にあり、標高50m前後の起伏がある土地だったとされています。今の片山町を歩くと坂道が多いのも、もとがこの丘陵地だったことと無関係ではなさそうです。

昔の「片山村」は、今の片山町よりずっと広かった

調べていて一番おもしろかったのがここです。

昔の片山村と、現在の片山町は範囲が違います。旧片山村にあたる地域を今の町名に置き換えると、

  • 片山町2〜4丁目
  • 原町、上山手町、朝日が丘町、藤が丘町
  • 千里山東、山手町、出口町、竹谷町
  • 佐井寺南が丘 など

にまで広がっていました。つまり昔の「片山」は、今の片山町よりはるかに大きな地域だったということです。

なぜ「片山神社」は出口町にあるのか

これで最初の疑問が解けてきます。

片山神社の現在の所在地は吹田市出口町3。ただし吹田市の資料によると、元禄5年(1692年)の記録では「片山村牛頭天王社」と記されており、片山・原・山の谷・出口という旧片山村一帯の産土神として祀られてきた神社です。つまり神社が建てられた時代には、今の「出口町」も含めて広い意味での「片山村」だった、ということになります。

その後、町名や行政区画が細かく分かれていったため、「片山神社なのに住所は出口町」という、現在の地図だけを見ると少し不思議な状態が残りました。

さらに不思議。片山町1丁目は「旧片山村」ではなかった

逆のパターンもあります。

現在の片山町1丁目は、『日本歴史地名大系』では旧片山村ではなく、旧吹田村の現在地名に含まれています。旧片山村として挙げられているのは、現在の片山町2〜4丁目。さらに片山町4丁目の一部は、旧吉志部七尾村にあたる地域ともされています。

つまり「今の片山町=昔の片山村」ではありません。現在の町名は、長い年月の中で行政区域や町界が変わった結果できたものだと分かります。

記録より前から、人は暮らしていた

「片山村」という名前が確認できるのは鎌倉時代ですが、この地域での暮らしの歴史はさらに古いと考えられます。

片山町4丁目には片山東屋敷廻遺跡があり、発掘調査では古墳時代から平安時代にかけての遺物を含む層のほか、溝や掘立柱建物跡、小さな穴などが見つかっています。「片山」という名前が記録に残るより前から、このあたりでは人の生活があったということです。

これは新築の現場に長く関わってきた立場としても、実感としてよく分かる話です。地盤調査や造成の相談で古い公図や字(あざ)名を確認していると、今の町名には残っていない古い区画の呼び名が出てくることがあります。今は住宅が建ち並ぶ場所の地面の下に、何百年、時には千年以上前の履歴が眠っている。土地には、それぞれの歴史があるのだと改めて感じます。

片山町では、江戸時代から「瓦」が作られていた

住宅に携わる立場として、もう一つ気になる歴史があります。瓦づくりです。

現在の片山町4丁目には、かつて「天道」と呼ばれる地域があり、そこで武内(竹内)瓦窯が操業していました。吹田市立博物館によると、少なくとも18世紀前半には瓦づくりが行われ、昭和2年(1927年)まで操業。宝暦3年(1753年)の鬼瓦には「瓦師 竹内七兵衛」の名も残っています。

江戸時代から昭和初期まで、長くこの地で家の屋根を守る瓦が作られていた。今の片山町を見ると、少し身近に感じる歴史です。

「片山小学校」は、今の片山小学校ではなかった

明治6年(1873年)、旧片山村字芝田(現在の原町1丁目付近)に学校が開校し、所在地から「片山小学校」と呼ばれていました。ただしこれは、現在の吹田市立片山小学校とは別の学校です。改称や移転を重ね、現在の千里第一小学校につながっています。

ここにも、町名と歴史のねじれが表れています。

片山村から千里村、そして吹田市へ

明治22年(1889年)、町村制の施行により、片山村と佐井寺村が合併して「千里村(ちさとむら)」が誕生します。当時の「千里」は、今の「せんり」ではなく「ちさと」と読まれていました。

その後、昭和15年(1940年)4月1日、吹田町・千里村・岸部村・豊津村が合併し、現在の吹田市が誕生。ここで行政上の「片山村」という名前はなくなります。それでも「片山」という名前だけは、片山町や片山神社に今も残されています。

「片山」という名前の由来は

ここまで調べると、「そもそもなぜ片山なのか」が気になります。

旧片山村は千里丘陵南東部の起伏のある土地だったため、地形に由来する地名だった可能性は考えられます。ただし今回確認できた資料の中に、「〇〇だから片山」と断定できるものはありませんでした。少なくとも1240年には「片山村」という名前が使われていたこと、そしてその名前が約800年にわたって受け継がれてきたことは確かです。由来を決めつけず、そのまま残しておきたいと思います。

おわりに

現在の片山町だけを見ると、住宅が多い吹田の一地域です。ですが歴史をたどると、片山町だけでなく原町・出口町・朝日が丘町・山手町なども含む大きな「片山村」があり、だからこそ片山神社は出口町にあり、逆に片山町1丁目は昔の片山村ではない、というねじれが生まれました。そして片山町では江戸時代から昭和初期まで、瓦も作られていました。

町名や境界は変わっても、「片山」という名前は約800年、この地域に残り続けています。普段歩いている道や、何気なく見ている町名にも、調べてみると意外な歴史が隠れているものです。これからも吹田の町を一つずつ取り上げながら、今の街並みにつながる歴史をたどっていきたいと思います。

今 利之(こん・としゆき)
アイワホーム株式会社 マーケティングディレクター
2005年入社、吹田の地で21年。新築営業・リフォーム・メンテナンス、賃貸、工事部門など、現場の最前線で歩んできました。


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