吹田市内を歩いていると、住宅と住宅の間や道路の脇を、細い水路が流れている場所に出会うことがあります。

大きな川なら、誰でも「ああ、川だな」と納得します。

でも、住宅街のすき間を縫うように流れるこの小さな水路を見て、
「なんでこんなところに水路があるんだろう」
と、立ち止まったことはないでしょうか。

実はこの水路をたどっていくと、今では住宅が建ち並ぶ吹田の街にも、かつて田んぼが広がっていた時代があったことが見えてきます。今回は、吹田の住宅街に残る「水の道」について調べてみました。

この記事でお伝えしたいこと

  • 住宅街の細い水路の正体:自然河川と人工水路(用水路・排水路)の違い
  • かつての吹田に張り巡らされていた「ため池・用水路・田んぼ・川」の水ネットワーク
  • 明和9年(1772年)の記録が残る佐井寺地区の「佐井寺くり抜き水路(約126mのトンネル)」
  • 釈迦ヶ池と吉志部など周辺の村々の農業を支えた水の歴史
  • 泉町「豊嶋郡条里遺跡」で発掘された鎌倉時代の本格的な護岸水路跡
  • 不動産・建築の現場目線で見る「敷地と水路」の関わり

住宅街の細い水路、全部が「川」というわけではない

まず押さえておきたいのは、水が流れているからといって、それがすべて自然の「川」とは限らないということです。

自然にできた河川もあれば、人が水を運ぶためにつくった用水路、田んぼなどから水を排出するための排水路もあります。吹田市も現在、「河川」と「水路」を区別して管理しており、市の下水道年報には「河川及び水路」という項目が設けられ、主な水路やため池、維持管理の状況がまとめられています。

つまり、住宅街で見かける「小さな川のようなもの」は、必ずしも自然河川ではないのです。

そもそも、なぜ田んぼには用水路が必要だったのか

いまの吹田市内だけを見ているとイメージしにくいのですが、かつては市内の各地に田んぼや畑が広がっていました。

稲作には大量の水が必要です。そのため、ため池に貯めた水を用水路で田んぼへ運び、使い終わった水を排水路から川へ戻すという仕組みが各地につくられてきました。農林水産省は、こうした農業水利施設を、人間の体に例えて「動脈・静脈のように張り巡らされたもの」と説明しています。

ため池 → 用水路 → 田んぼ → 排水路 → 川

こうした「水のネットワーク」が、昔の吹田にはあったわけです。都市化が進んだ現在では、こうした農業水路が地域の排水施設や身近な水辺としての役割を持つ場合もあります。

田んぼが住宅になっても、「水の道」は全部消えない

田んぼが宅地になったのなら、水路も全部なくしてしまえばいいように思えるかもしれません。ところが、そう単純ではありません。

街が住宅地になっても雨は降りますし、水は高いところから低いところへ流れていきます。残っている農地へ水を届ける必要がある場所もありますし、もともと地域の水を集めて流していた水路が、現在は雨水を流す役割を担っていることもあります。

田んぼはなくなった。でも、水が流れてきたルートは今も残っている。そんな場所が、吹田の住宅街にはあるのです。

吹田には250年以上前の「水のトンネル」がある

吹田の水の歴史を調べていて特に驚いたのが、佐井寺地区に残る「佐井寺くり抜き水路」です。

佐井寺の集落と釈迦ヶ池の間には丘陵があります。江戸時代、佐井寺集落にたまる雨水を岸部などの農業用水として活用するため、この丘をトンネル状にくり抜いて水路がつくられました。吹田市の資料によると、明和9年(1772年)の古文書にもこの水路のことが記録されており、トンネル部分は約126m、入口は幅約62cmの石組みで、内部は素掘り。入口前面には、土砂が水路へ流れ込まないよう沈砂池まで設けられていたといいます。

重機もない時代に、「こちら側の水を、向こう側へ持っていきたい」という理由で丘を掘り抜いた。それだけ、農業にとって水の確保は切実な課題だったということが伝わってきます。

釈迦ヶ池の水は、周辺の田んぼを支えていた

佐井寺くり抜き水路によって集められた水が向かった先の一つが、釈迦ヶ池です。

釈迦ヶ池は、吉志部などの周辺の村々にとって大切な農業用のため池のひとつでした。池にためられた水は用水路を通じて周辺の田んぼへ届けられ、地域の農業を支えていたのです。都市化や鉄道施設の整備によって、水の通り道が変わった部分もありますが、ため池と水路が一体となって農業を支えていた時代が、たしかに吹田にはありました。

いまの街並みだけを見ていると、少し想像しにくい景色かもしれません。

泉町では鎌倉時代の水路も見つかっている

さらに時代をさかのぼります。

吹田市泉町2丁目、メイシアター(文化会館)に隣接する「いずみの公園」内では、発掘調査によって鎌倉時代の水路跡が見つかっています。市の資料によれば、この場所は「豊嶋郡条里遺跡」と呼ばれ、古代に全国的な規模で施行された土地区画制度「条里制」における豊嶋郡の東の境界にあたるとみられています。

見つかった水路は、両岸に堤防を備えて護岸された、幅約1.1m・深さ約0.5mのもの。郡の条里の境界で、これほど整備された中世の水路が確認されるのは珍しく、貴重な調査例とされています。

つまり吹田では、少なくとも中世のころから、人が土地を利用するために「水の道」をつくっていたことが、発掘調査からも分かるのです。

土地を見るとき、水路にも「そこにある理由」がある

私はアイワホームで新築営業やリフォーム、賃貸、工事の現場と、長年吹田の土地に携わってきました。その中で、道路でも川でもない、この細い水路に出会うことが少なくありません。

建築や不動産の視点では、

  • 敷地との高低差はどうなっているか
  • 誰が管理している水路なのか
  • 道路から敷地へ入るために水路をまたぐ必要はないか

といった、現在の土地としての確認がまず重要になります。

でも、そこで少しだけ視点を変えて、「そもそも、なぜここに水路があるんだろう」と考えてみる。すると、その場所にかつてあった田んぼやため池、村の暮らしまで見えてくることがあります。

今では家が建ち並び、道路が通り、駅や商業施設がある吹田市。その街の中をいまも流れている細い水路は、昔の吹田から現在の吹田へと続く「水の道」なのかもしれません。

普段何気なく通り過ぎている住宅街の水路。次に見つけたときは、「この水、どこから来て、どこへ行くんだろう」と少しだけ立ち止まってみると、いつもの街が違って見えてくるはずです。

今 利之(こん・としゆき)
アイワホーム株式会社 マーケティングディレクター
2005年入社、吹田の地で21年。新築営業・リフォーム・メンテナンス、賃貸、工事部門など、現場の最前線で歩んできました。


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※創業36年、吹田の地で家族の暮らしに寄り添い続けて。吹田の暮らしに、いちばん近い住宅会社でありたい。

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