私たちアイワホームの本社がある、吹田市高浜町。
毎日のように目にしている住所なので、「高浜町」という名前を特別に意識することはあまりありません。
でも、よく考えてみると少し不思議です。
なぜ、吹田に「浜」という名前があるのでしょうか。
現在の高浜町を歩いて、「浜辺の町」を想像する人はほとんどいないと思います。JR吹田駅にも近く、住宅や店舗が建ち並ぶ市街地です。海が見えるわけでもありません。
ところが高浜町の歴史を調べていくと、この「浜」という一文字の向こうに、今とはまったく違う吹田の姿が見えてきました。
現在では鉄道や道路で大阪市内や京都方面へ移動するのが当たり前ですが、かつての吹田では「川」が重要な交通路でした。高浜町周辺は、その水運と陸路が交わる場所として発展してきた地域だったのです。
この記事でお伝えしたいこと
- 高浜町・南高浜町周辺は、神崎川などの水運と陸路が結びつく場所として早くから発展した地域です。
- 中世の史料や発掘調査報告には「高浜」「高浜津」という名称が登場し、現在よりはるか昔からこの地域と水上交通との深い関係が確認できます。
- 戦国時代から江戸時代には「吹田の浜(津)」や「吹田の渡」があり、吹田は河港・交通の町として栄えました。
- 明治になると高浜町周辺には警察署や郵便局なども置かれ、旧吹田の中心地としての性格を持っていました。
- 現在の高浜町にも、「六地蔵」「東旭町」「神境町」など、今の住所とは別の昔からの地域名が残っています。
まず知っておきたい。「今の高浜町」と「昔の高浜」は同じではない
高浜町の歴史を調べるうえで、最初に一つ注意しておきたいことがあります。
それは、現在の「吹田市高浜町」という住所の範囲と、昔の史料に登場する「高浜」や「吹田の浜」の範囲を、そのまま重ねて考えることはできないということです。
現在の町名や町界は、長い歴史の中では比較的新しいものです。昔の人たちは、現在の「高浜町」「南高浜町」「内本町」といった町界を基準に暮らしていたわけではありません。
そのためこの記事では、現在の高浜町そのものの歴史と、高浜町を含む旧吹田地域一帯の歴史を分けながら見ていきます。この違いを理解しておくと、高浜町の歴史がかなり分かりやすくなります。
今は住宅街。でも昔の吹田では「川」が大きな交通路だった
現在の吹田で交通といえば、まず思い浮かぶのは鉄道や道路でしょう。JR京都線、阪急線、新御堂筋、名神高速道路、中国自動車道など、吹田は今も交通の要衝です。
ところが、鉄道も自動車もなかった時代は事情が違いました。大量の人や荷物を運ぶために重要だったのが、川を利用した水上交通=舟運です。
吹田市南部には神崎川や安威川が流れています。吹田市も、高浜町・南高浜町周辺について、神崎川・安威川沿いの水陸運の中継点として形成された地域と位置付けています。
つまり、今の感覚で地図を見るだけでは、高浜町の歴史は少し分かりにくい。「駅から何分か」ではなく、「川からどれくらい近いか」「舟と陸路をどこでつなぐか」という視点で昔の吹田を見る必要があります。すると高浜町周辺の立地の意味が変わって見えてきます。
「高浜」という名前は、かなり昔から登場する
では、「高浜」という名前はいつ頃から使われていたのでしょうか。ここが非常に興味深いところです。
吹田市の発掘調査報告書では、平安時代の『更級日記』や『長秋記』に、「高浜」が寄港地として登場すると整理されています。
さらに鎌倉時代になると、太政大臣を務めた藤原氏の流れをくむ西園寺公経・実氏親子が吹田に「吹田殿」と呼ばれる別邸を構え、皇族や貴族がこの地域を訪れていました。1251年(建長3年)には後嵯峨上皇も吹田殿へ行幸したとされ、発掘調査報告書は当時の様子について、神崎川沿岸の「高浜津一帯」の繁栄をうかがわせるとしています。
「津」とは、簡単にいえば港や船着場のような場所です。つまり「高浜」は、単なる住宅地の名前として突然生まれたものではありません。少なくとも中世までさかのぼって、水上交通と結びついた名称として歴史の中に登場しているのです。
高浜神社にも残る「高浜」という名前
現在の高浜町5番には、高浜神社があります。吹田市によると、高浜神社は奈良時代に「吹田の大宮」として記録されている神社で、現在の本殿は1693年、元禄6年に再建されたものです。
そして高浜神社には、先ほど登場した後嵯峨上皇が1251年(建長3年)に参詣し、「来て見れば千代もへぬべし高浜の松に群れいる鶴の毛衣」と、「高浜の松」を詠み込んだ歌を残したという由緒が伝わっています。境内には、この歌にちなむ「鶴の松」と呼ばれる老松の古株が今も残されています。
ここでも「高浜」という名称が出てきます。現在私たちが何気なく書いている、「吹田市高浜町」という住所。その「高浜」という言葉そのものが、何百年という時間を超えて残ってきた可能性が見えてくるわけです。
では「高浜」の“浜”は、本当に海岸の浜なのか?
ここで最初の疑問に戻ります。なぜ「高浜」なのでしょうか。
「昔はこの辺まで海だったのでは?」と思いたくなります。実際、この地域が現在とは異なる水辺の環境にあった時代が長かったことは間違いありません。
ただし、今回確認した吹田市の資料や発掘調査報告書の範囲では、「海岸の高い浜だったから高浜と名付けられた」とまで断定できる根拠は確認できませんでした。ここは、面白さを優先して言い切らない方がよさそうです。
一方で、高浜神社に伝わる由緒には、少し違う角度の言い伝えもあります。それによると、5世紀前後、大和朝廷の頃にこの一帯は「河内湖」と呼ばれる大きな水域のほとりにあり、その小高い岸辺が「高浜」と呼ばれていた、という説です。そこに移り住んだ豪族「次田連(すきたのむらじ)」が祖神を祀ったのが高浜神社の始まりとされ、この「すきた」がのちに「すいた(吹田)」という読みに変化していった、という伝承です。
これはあくまで神社側に伝わる由緒であり、吹田市の公的な資料で断定されているものではありません。ですから、どちらか一方が「正解」と決めつけることはできません。それでも、「高浜」という文字と水との関係が、水運の拠点としてだけでなく、地形の記憶としても語り継がれてきたことは、とても興味深い点だと思います。
昔の「浜」は、現代人が想像する砂浜だけを意味するとは限りません。川岸や水際、舟の発着する場所など、水と接する場所を表す言葉としても使われてきました。実際、吹田の歴史には「高浜津」「吹田の浜」「吹田津」といった、水運を想起させる名称が繰り返し登場します。
ですから、高浜町という名前と、この地域が長く水とともに発展してきた歴史には、非常に深いつながりがある。ここまでは言えそうです。
戦国時代には「吹田の浜(津)」と呼ばれていた
時代をさらに進めてみます。吹田市がまとめた歴史的まちなみの資料によると、内本町・南高浜町周辺は、亀岡街道と神崎川が交差する「吹田の渡」周辺に形成された在郷町を母体として発展しました。
そして戦国時代には、「吹田の浜(津)」と呼ばれ、戦略上の重要な場所だったとされています。1582年には豊臣秀吉から「吹田津」に対して禁制が出されたことも、吹田市の発掘調査報告書で確認できます。
戦国時代の吹田というと、現在の住宅都市の姿からはなかなか想像できません。しかし当時の立地を考えれば分かります。川を使って人や物資が移動する時代、京都と大坂の間を移動するうえで、神崎川沿いの吹田は重要な位置にありました。だからこそ、政治的にも軍事的にも無視できない場所だったのでしょう。
江戸時代、高浜町周辺は「水」と「道」が交わる町へ
江戸時代になると、この地域の交通拠点としての性格はさらに分かりやすくなります。
神崎川には「吹田の渡」があり、人々は渡し船を使って川を渡っていました。また陸路では亀岡街道や吹田街道が通じていました。特に亀岡街道は、大坂から京都・亀岡方面へつながる重要な道でした。
つまりこの一帯には、川を行く舟と、陸を行く人や荷物が集まっていたことになります。今風に言えば、交通結節点です。
現在の高浜町周辺を見れば、JR吹田駅や阪急相川駅など鉄道を中心に考えてしまいます。しかし何百年か時計を巻き戻せば、人の流れを生み出していたのは駅ではなく、川と街道だったのです。
明治になると、高浜町周辺は「官公庁街」になる
高浜町の歴史でもう一つ面白いのが、明治時代です。吹田市のまちなみ資料には、明治初期の吹田警察署と郵便局が「高浜町・亀岡街道沿い」にあったことが記されています。
また、吹田を治めていた旗本竹中氏の陣屋は、明治以降、村役場、そして町役場として使われました。そのため当時の亀岡街道沿いには警察署や郵便局などが集まり、吹田市はこの一帯を吹田の行政の中心だったと説明しています。
これは非常に興味深い話です。現在の吹田市役所は泉町にあります。商業の中心というイメージならJR吹田駅周辺や江坂を思い浮かべる方もいるでしょう。しかし、もっと昔までさかのぼれば、現在の高浜町・南高浜町・内本町周辺が、吹田の中心的な役割を担っていた時代があったのです。
鉄道ができると、町の「中心」が動き始める
ところが明治時代になると、吹田の交通構造を大きく変えるものが現れます。鉄道です。
1876年(明治9年)、大阪―向日町間に官営鉄道が開通し、同じ年に吹田駅も開業しました。吹田市の資料では、鉄道の開通によって水運が急速に衰え、「吹田の渡」も廃止されたとされています。
ここから吹田の町の重心も少しずつ変わっていきます。川と街道の時代から、鉄道の時代へ。後にはJR吹田駅周辺に商業地が形成され、さらに吹田操車場や工場の立地、千里丘陵の住宅地開発などによって、吹田という都市そのものが大きく広がっていきました。
高浜町の歴史を見ていると、吹田の交通が、
川 → 街道 → 鉄道 → 道路
と変わってきた過程まで見えてきます。
それでも、昔の町の名前は今も残っている
町の姿は変わっても、完全に消えてしまわないものがあります。その一つが地域の名前です。
現在の正式な住所は「高浜町」ですが、吹田市の自治会一覧を見ると、高浜町の中には現在も、旭町、六地蔵、東旭町、神境町といった自治会名があります。
住所だけを見ていると、すべて同じ「高浜町」です。ところが地域の中をもう一段掘ると、別の名前が残っている。これこそ、町の歴史の面白いところではないでしょうか。
さらに高浜神社には、吹田市指定有形民俗文化財となっている地車があります。その一つが六地蔵地車。天保10年、1839年の棟札が残っており、大阪府内の同型式の地車の中でも古い時期に属するとされています。もう一つが西奥町地車で、こちらも天保期に建造されたものと考えられています。
ここにも、「六地蔵」「西奥町」という地域の名前が残っています。現在の住所表示だけを見ていたら気付かない、小さな地域の歴史です。町名が整理されても、祭りや自治会、人のつながりの中には、それ以前の地域単位が残り続ける。これは高浜町に限らず、古くから続く町を知るうえで、とても面白い視点だと思います。
高浜町を調べると、「今の地図」だけでは町は分からないと気付く
私たちは住宅や土地を扱う仕事をしているので、毎日のように地図を見ます。道路の幅。土地の形。駅までの距離。学校区。用途地域。建ぺい率や容積率。
現在の土地を見るうえでは、もちろんどれも大切です。でも高浜町の歴史を調べてみると、地図に書かれている「現在」だけでは、その町のすべては分からないことに気付かされます。
今は住宅街になっている場所が、昔は水運で栄えた町だった。今は一本の道路に見える場所が、かつて人や物が行き交った街道だった。住所としては消えた名前が、自治会や祭りの中では今も残っている。
町は、新しくつくられるだけではなく、昔の町の上に少しずつ積み重なってできています。高浜町は、そのことがとてもよく分かる町でした。
いつもの「高浜町」が、少し違って見えてくる
「吹田市高浜町」
普段なら、それだけで終わってしまう住所です。でも、その名前を少し掘ってみると、高浜津があり、神崎川の舟運があり、吹田の渡があり、亀岡街道があり、高浜神社があり、そして近代になると警察署や郵便局が置かれた時代がありました。
もちろん、昔の「高浜」と現在の高浜町の範囲をそのまま同じものとして考えることはできません。また、「高浜」という地名の由来そのものについても、今回確認できた資料だけで一つの説に断定することはできませんでした。
それでも確かなのは、現在の高浜町周辺が、神崎川の水運や街道と深く結びつきながら発展してきた地域だということです。
海から離れた吹田に、なぜ「浜」という町名があるのか。その疑問から調べ始めた高浜町でしたが、たどり着いたのは、今では想像しにくい「水の交通都市・吹田」の姿でした。
私たちアイワホームにとって、高浜町は本社の住所でもあります。毎日仕事をしている町だからこそ、その土地がどんな時間を積み重ねて今の姿になったのか、これからも少しずつ知っていきたいと思います。
そして高浜町だけではありません。吹田には、それぞれの町名の下に、その町ならではの歴史が眠っています。次はまた一つ、普段何気なく通っている町を掘ってみたいと思います。
参考にした主な公開資料
- 吹田市「吹田市景観まちづくり計画」
- 吹田市「内本町・南高浜町周辺のまちなみガイドライン」
- 吹田市「古代~近世」
- 吹田市「文化財説明板一覧」
- 吹田市「お住まいの住所から自治会を探す」
- 吹田市発掘調査報告書『高城B遺跡』
- 吹田市発掘調査報告書『五反島遺跡』
- 高浜神社「由緒・歴史」
今 利之(こん・としゆき)
アイワホーム株式会社 マーケティングディレクター
2005年入社、吹田の地で21年。新築営業・リフォーム・メンテナンス、賃貸、工事部門など、現場の最前線で歩んできました。
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※創業36年、吹田の地で家族の暮らしに寄り添う住まいづくりを。吹田の暮らしに、いちばん近い住まいの会社。
