普段このブログでは、家づくりや土地、不動産についての記事を書くことがほとんどです。
ただ、今日は8月15日。
せっかくなので今回は少し住宅の話から離れて、「吹田のお盆」について調べてみることにしました。
結論から言うと、吹田のお盆をたどっていくと、単に「昔のお盆はどんなものだったのか」という話では終わりませんでした。山田地区に残る「権六(ごんろく)おどり」、8月24日の地蔵盆、9月1日の八朔盆(はっさくぼん)、春日に今も残る地蔵講(じぞうこう)。そして、その地域の盆踊りが1970年の大阪万博、2010年の上海万博、さらに2025年の大阪・関西万博へとつながっていきます。権六おどりは現在、吹田市の地域無形民俗文化財として登録されています。
現在は住宅地やマンションが広がる吹田にも、少し前まで「村」の暮らしがあり、その中で受け継がれてきた夏の風景がありました。
今回は吹田市立博物館の資料などをもとに、その歴史を少し深くたどってみたいと思います。
この記事でお伝えしたいこと
- 「盂蘭盆(8月15日)」と関西の「地蔵盆(8月24日)」の本来の違い
- 山田地区(旧山田村)に伝わる「権六おどり」と円照寺・宮大工権六の伝承
- 権六音頭(口説き)に見る長門国(山口県)の物語と地域文化形成の謎
- 春日地区(春日地蔵講)に今も息づく江戸時代(嘉永・安政年間)からの「トヤ」制度
- 1970年大阪万博から2025年大阪・関西万博まで受け継がれる地域伝統の絆
お盆と地蔵盆は同じもの?まず違いを整理する
結論から言うと、「8月15日のお盆」と「8月24日の地蔵盆」は、もともと同じ行事ではありません。
一般に私たちが「お盆」と呼んでいるのは、祖先の霊を迎え、供養する盂蘭盆(うらぼん)を中心とした行事です。一方、関西でよく見られる「地蔵盆」は、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の縁日(えんにち)である8月24日前後に、地域のお地蔵さんを祀(まつ)る行事です。
ただ、近畿地方では地蔵盆に盆踊りが行われる地域もあり、「盆」という言葉で呼ばれる夏の地域行事は、実際にはかなり多層的です。吹田の歴史を見ても、それがよく分かります。
昔の吹田では、8月24日の夜にも盆踊りがあった?
結論から言うと、山田地区では昭和20年代ごろまで、地蔵盆の夜に盆踊りが行われていた記録が残っています。
吹田市立博物館が1999年に発行した『博物館だより No.12』には、山田地区の「権六踊り」についての調査が掲載されています。それによると、山田地区では昭和20年代ごろまで、主に8月24日の地蔵盆の夜に円照寺(えんしょうじ)で盆踊りが行われていました。
さらに、雨に恵まれて田が焼けることのなかった年などには、9月1日の「八朔盆」にも踊り、豊年を祝って夜通し踊ったと記録されています。
「八朔」とは旧暦8月1日を意味する言葉で、農村では豊作祈願(ほうさくきがん)や収穫を前にした行事とも深く関わってきました。「八朔盆」という呼び方も各地に伝わっています。
今の吹田からは、なかなか想像しにくい光景です。山田といえば現在では住宅地が広がり、万博記念公園や千里ニュータウンにも近い市街地です。しかし、かつての山田は農村でした。田畑があり、農作物の出来が暮らしに直結していた時代には、盆踊りは単なる夏祭りではなく、地域の人々が季節の節目を共有する行事でもあったのでしょう。
さらに面白いのは、権六踊りが山田だけの踊りではなかったことです。吹田市の資料によると、以前は山田地区だけではなく、佐井寺(さいでら)や岸部(きしべ)などでも踊られていましたが、現在は山田地区に伝承されています。つまり現在の「山田の権六おどり」だけを見ていると分かりませんが、かつてはもう少し広い地域に盆踊り文化が存在していたわけです。
「権六おどり」の権六とは、いったい誰なのか?
結論から言うと、権六おどりの由来には、少なくとも二つの語られ方があります。
吹田市が現在紹介している権六おどりには、こんな由来が伝えられています。
山田の宮大工(みやだいく)・権六が円照寺の建築に携わり、完成した寺の見事な出来栄えに感動して、近くから、遠くから、手をかざしながら眺めた。その仕草が踊りになった――というものです。
いかにも昔話らしい、きれいな由来です。ところが、吹田市立博物館の過去の調査を見ると、話はそれほど単純ではありません。資料には、大工の権六が村の娘「おすぎ」に思いを寄せていたものの、おすぎは円照寺の和尚(おしょう)に恋をしていた。それを知った権六が普請(ふしん)の手を止めた――という別の伝承も紹介されています。
つまり、同じ「権六おどり」であっても、その由来には複数の語られ方があるのです。こういうところが民俗文化の面白さなのだと思います。昔から語り継がれている話だからといって、それがそのまま歴史的事実であるとは限りません。
では、本当のところはどうだったのでしょうか。
なぜ権六おどりの歌に「長門国」が出てくるのか?
ここで、権六おどりそのものではなく、「音頭」に目を向けてみます。
結論から言うと、山田に伝わる音頭の物語の背景には、山田だけでは説明できない要素が含まれています。
吹田市立博物館の調査では、山田に伝わってきた音頭を、他地域に伝わる盆踊り歌と比較しています。すると、興味深いことが分かってきます。権六おどりとして伝わっているにもかかわらず、歌の物語の背景には、登場するのは「長門国(ながとのくに)」や「赤間が関(あかまがせき)」。現在の山口県・下関周辺につながる地名です。
博物館の研究では、この歌の背景として、江戸時代後期に大阪や京都などで出版され、西日本各地へ伝わっていった「兵庫口説(ひょうごくどき)」と呼ばれる系統の物語との関係が検討されています。「口説(くどき)」とは、物語を節(ふし)を付けて語るように歌う民謡・音頭の形式です。
長門国赤間関の寺を舞台にした物語が、「坊さん落とし」「おすぎ口説」など、地域によって名前や細部を変えながら各地へ伝わり、盆踊りの音頭として歌われていったと考えられています。大阪でも交野(かたの)や八尾(やお)などに類似した音頭が伝わっていたことが指摘されています。
私そして、ここで山田との接点が生まれます。山田には実際に「円照寺」があります。外から伝わってきた物語と、山田に実在する円照寺。さらに地元で語られていた宮大工・権六の伝承。それらが長い時間の中で重なり合い、「権六音頭」「権六おどり」という山田独自の物語として定着していった可能性があるわけです。
もちろん、これですべてが証明されたわけではありません。吹田市立博物館の『博物館だより No.12』自体も「権六踊り」を研究対象として取り上げており、その由来を単純な一つの物語として扱っているわけではありません。
しかし、ここが非常に興味深いところです。私たちは「地域の伝統」と聞くと、その土地でゼロから生まれ、何百年もそのまま伝わってきたものを想像しがちです。実際には、人が移動し、歌が伝わり、物語が土地の記憶と結びつき、その地域独自の文化へ変化していくことがあります。権六おどりも、そうした文化の重なりの中から現在の姿になった可能性があるわけです。
吹田・春日には、今も8月24日の地蔵盆が残っている?
結論から言うと、春日地域には江戸時代の文書が残る地蔵講が今も続いています。
山田だけではありません。吹田市春日1丁目には「春日の地蔵(地現地蔵)」と呼ばれる6体の石仏があります。吹田市文化財保護課によると、この石仏は嘉永(かえい)2年、1849年5月の大雨の際に水田から掘り出されたと伝えられています。
その後、「四方講」という地蔵を祀る組織がつくられ、現在は「春日地蔵講」と名前を変えながら、お祀りが続けられています。しかも、これは単なる言い伝えだけではありません。石仏が掘り出された経緯を記した嘉永2年の文書や、安政(あんせい)6年、1859年に地蔵堂の敷地が講に譲り渡されたことを示す文書も残されています。
さらに興味深いのが、その運営方法です。現在も年ごとに「トヤ(トウヤ)」と呼ばれる2家を決め、その家がその年のお祀りを主宰(しゅさい)し、毎年8月24日に地蔵盆と盆踊りを行っています。
現代の感覚でいえば、「その年の地域行事を担当する家」を順番に決めているような仕組みでしょうか。こうした「講(こう)」や「トウヤ」という仕組みは、祭りを開催するためだけのものではありません。誰か一人が主催するのではなく、地域の家々が役割を引き継ぐことで行事を継承していく。そこには、昔の村のコミュニティの姿が見えてきます。
農村の盆踊りが、なぜ大阪万博へつながったのか?
結論から言うと、権六おどりは1970年、2010年、2025年と、三つの万博の舞台に立っています。
1970年、日本万国博覧会、いわゆる大阪万博が吹田の千里丘陵で開催されました。このとき、権六おどりも万博で披露されています。2011年に発行された吹田市立博物館『博物館だより No.45』には、当時の参加者への聞き取りが掲載されています。それによると、万博の前年に権六踊りへの出演が決まり、山田の婦人会を中心に約150人規模のグループがつくられました。
当時の山田は、まだ農村的な性格を強く残していました。特に印象的なのが、町から山田へ嫁いできた女性たちの話です。聞き取りでは、地域になかなか溶け込めず悩んでいた人たちが、権六踊りへの参加をきっかけとして地域に入っていけた、という証言が残されています。
これは、とても興味深い話です。踊ること自体が、新しく地域へ来た人と、昔から暮らしてきた人をつなぐ役割を果たしていた。そう見ることもできます。
そして権六おどりは、その後も受け継がれていきます。2010年には海を越え、中国・上海万博でも披露されました。吹田市立博物館の資料には、その上海公演の様子も記録されています。
さらに2025年の大阪・関西万博。山田地区権六おどり保存会、市内の学生、一般公募の市民など約160人が参加し、万博会場で山田権六おどりを披露しました。
農村の盆踊りが、1970年の大阪万博へ。2010年の上海万博へ。そして2025年の大阪・関西万博へ。時代も場所も大きく変わりましたが、踊りは現在までつながっています。
「伝統」とは、変わらないことではないのかもしれない
今回、吹田のお盆にまつわる歴史を調べていて感じたのは、「伝統」という言葉の見え方が少し変わるということでした。
権六おどりの背景には、外から伝わってきた音頭文化と、山田という土地の記憶が重なっている可能性があります。かつて地蔵盆などで踊られていた地域の盆踊りは、万博という世界的なイベントの舞台にも上がりました。農村だった山田には住宅地が広がり、千里ニュータウンができ、吹田の人口も暮らし方も大きく変わりました。それでも、踊りは残っています。
春日の地蔵盆でも、江戸時代に始まった地蔵を祀る地域の仕組みが、形を変えながら現在まで受け継がれています。
伝統とは、昔とまったく同じ形を守り続けることだけではないのかもしれません。人が入れ替わり、町が変わり、暮らしが変わっても、その時代に合わせて少しずつ姿を変えながら、次の世代へ渡していく。そう考えると、現在の住宅地の風景の中にも、昔の吹田から続くものが意外なほど残っていることに気づきます。
8月15日に、少しだけ昔の吹田を振り返ってみる
現在のお盆は、帰省したり、お墓参りをしたり、家族と過ごしたりする時期という印象が強くなっています。
一方、昔の吹田には、地域の人たちが櫓(やぐら)を囲み、太鼓や三味線(しゃみせん)に合わせて夜通し踊った夏がありました。8月24日の地蔵盆。豊作を祝った9月1日の八朔盆。地域の家々が順番に祭りを支える「講」や「トウヤ」。そして、地域の外から伝わった物語を、自分たちの土地の物語へと育てていった人たち。
普段何気なく歩いている吹田の町にも、そんな歴史が積み重なっています。
お盆ということで、今回はいつもの住宅の話から少し離れてみました。調べ始めるまでは、「吹田にも昔から盆踊りがあった」という程度の話になると思っていました。ところが調べてみると、その盆踊りが昔の音頭文化につながり、農村だった吹田の暮らしにつながり、さらに1970年と2025年、二つの大阪万博へまでつながっていました。
地域の歴史は、意外なところから現在へ続いているものです。
今年のお盆、もし町のどこかで盆踊りの音が聞こえてきたら。その踊りの向こう側にある、この土地で暮らしてきた人たちの時間に、少しだけ思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
よくある質問(FAQ)
Q. お盆と地蔵盆はどう違いますか?
A. お盆(盂蘭盆)は祖先の霊を迎え供養する行事、地蔵盆は地蔵菩薩の縁日である8月24日前後に地域のお地蔵さんを祀る行事です。もともとは別の行事ですが、近畿地方では地蔵盆に盆踊りを行う地域も多く見られます。
Q. 権六おどりとはどんな踊りですか?
A. 吹田市山田地区に伝わる盆踊りで、吹田市の地域無形民俗文化財に登録されています。宮大工・権六が円照寺の見事な出来栄えに感動して手をかざしながら眺めた仕草が踊りになった、という由来が広く知られていますが、村娘「おすぎ」と和尚をめぐる別の伝承も残されています。
Q. 権六おどりは万博で披露されたことがありますか?
A. はい。1970年の大阪万博、2010年の上海万博、2025年の大阪・関西万博と、三度にわたって披露されています。2025年は山田地区権六おどり保存会や学生、一般公募の市民など約160人が参加しました。
Q. 吹田市春日の地蔵盆はいつ行われますか?
A. 毎年8月24日です。「トヤ(トウヤ)」と呼ばれる2家がその年の祭りを主宰する仕組みが今も続いており、江戸時代の文書もあわせて残されています。
■ 主な参考資料
・吹田市立博物館『博物館だより No.12』(1999年)「権六踊り」
・吹田市立博物館『博物館だより No.45』(2011年)「権六おどり~時空を超えて~」
・吹田市文化財保護課「春日地域―春日の地蔵(地現地蔵)」
・吹田市「山田権六おどりを万博会場で踊ろう」
・吹田市「大阪の祭!~EXPO2025 真夏の陣~ 当日の様子」
今 利之(こん・としゆき)
アイワホーム株式会社 マーケティングディレクター
2005年入社。新築営業からキャリアをスタートし、リフォーム・メンテナンス、賃貸、建築の各部門を経て、現在はマーケティング担当として吹田市の家づくり情報を発信しています。
■ 1日でも早く、理想の暮らしへ 🏃💨
好条件の物件は、検討される方が重なる傾向にあります。
「まずは話を聞いてみたい」という気軽な気持ちで、一歩踏み出してみませんか?
【公式LINEで気軽に相談】
物件の詳細や、内覧のご予約はLINEが一番スムーズです。
👉 https://lin.ee/HTvVmlL
【アイワホーム公式サイト】
施工事例を見て、新しい暮らしのイメージを膨らませてください。
👉 https://aiwahome.com/
■ 吹田の「今」をチェック!
吹田を愛する私たちが運営する、地元の耳寄り情報サイトです。
吹チャン!: https://suichan.jp/ 📢
■ 公式SNSでルームツアー公開中 🎥
Instagram: https://www.instagram.com/aiwahomesuita/
YouTube: https://www.youtube.com/channel/UC4TWLt5U3X3ls6mDPsYIY8A
アイワホーム株式会社
本社:大阪府吹田市高浜町9-9 アイワステーションビルⅤ号館
※創業36年、吹田の地で家族の暮らしに寄り添う住まいづくりを。
