「この住宅街に、なぜ江戸時代の石碑が残っているんだろう」

吹田市南高浜町を歩いていて、そう感じたことはないでしょうか。

私たちアイワホームにとって、南高浜町は少し思い入れのある町です。以前、本社として使っていた建物がこの町にあり、今も賃貸物件として現存しています。長年、仕事で何度も通ってきた場所です。

ところが改めて歴史を調べてみると、普段何気なく通っている道の見え方が変わってきました。南高浜町の住宅街には、今も江戸時代の道標が複数残っています。しかも一つではありません。

なぜ、このあたりにだけ古い道標が残っているのか。調べていくと見えてきたのは、南高浜町がかつて「道が分かれる場所」だったという姿です。

さらに現在の住所は一つの「南高浜町」ですが、地域には今も、南町・宮之前・六地蔵・都呂須町・神境町という、住所とは異なる名前が残っています。

以前書いた「高浜町編」では神崎川と舟運の歴史をたどりましたが、今回は視点を変え、「道」と「町の名前」から南高浜町の歴史をたどってみます。

この記事でお伝えしたいこと

  • 吹田市が「吹田発祥の地のひとつ」と位置づける内本町・南高浜町周辺の歴史的背景
  • 大坂高麗橋と京都亀岡を結ぶ幹線路「旧亀岡街道」の役割
  • 南高浜町4丁目に残る「南町道標」(亀岡街道と吹田街道の分岐点)の存在理由
  • 南高浜町3丁目の「六地蔵道標」(片山村方面への分岐)と水陸交通の結節点
  • 現在の住所表記の下に今も息づく旧吹田村の九集落(都呂須・神境町等)と平安〜室町期の神境町遺跡

今は住宅街。でも吹田市は「吹田発祥の地のひとつ」と位置づけている

現在の南高浜町を見ると、戸建住宅やマンションが並ぶ市街地です。

しかし吹田市が策定した「内本町・南高浜町周辺のまちなみガイドライン」を読むと、この地域の見え方が大きく変わります。吹田市は内本町・南高浜町を、神崎川の水運に恵まれ交通の要衝として早くから開けた地域とし、「吹田発祥の地のひとつ」と説明しています。

この一帯は、亀岡街道と神崎川が交わる「吹田の渡」周辺に形成された在郷町を母体として発展しました。江戸時代には大坂方面へ人や物を運ぶ渡し場があり、街道と舟運が結びついていたのです。

前回の高浜町編では、この歴史を「川」や「浜」の側から見ました。では、川を渡ってきた人や荷物は、その先どこへ向かったのでしょうか。そこで登場するのが、南高浜町を通っていた街道です。

南高浜町を通っていた「亀岡街道」

この地域を考えるうえで欠かせないのが、旧亀岡街道です。

吹田市の資料によると、大坂の高麗橋から京都の亀岡方面を結んでいた亀岡街道は吹田の浜を通り、西国街道と神崎川の水運をつなぐ道として利用されていました。

今なら大阪から京都方面へは、JRや阪急、高速道路を思い浮かべます。しかし鉄道も自動車もなかった時代、人や物を運んでいたのはこうした街道でした。

そして南高浜町が興味深いのは、ただ街道が通っていた町というだけではない点です。ここには、道が分かれる場所がありました。

南高浜町4丁目に残る「南町道標」

南高浜町4丁目には、現在も「南町道標」が残っています。

吹田市によると、これは江戸時代の道標で、亀岡街道から吹田街道が分岐する地点に立てられたものです。ここから分かれていた吹田街道は市域をほぼ東西に進み、豊中市の服部で能勢街道へつながっていました。

この道は吹田の浜と豊中・池田方面を結び、年貢米や農産物の運搬、社寺への参詣などにも使われていたと吹田市は説明しています。

つまりこの場所まで来た人は、そのまま亀岡街道を進むか、吹田街道へ入るか、ここで道を選んでいたことになります。現在なら交差点の標識やカーナビ、スマートフォンが案内してくれますが、そうしたものがない時代に同じ役目を果たしていたのが「道標」でした。

南高浜町の住宅街に江戸時代の石が残っているのは、単に古いものが偶然残ったからではなく、そこが実際に「分かれ道」だったからなのです。

少し北には「六地蔵道標」も

南高浜町3丁目には、もう一つ江戸時代の「六地蔵道標」があります。

こちらは吹田市によると、亀岡街道から片山村へ通じる道が分岐する地点に立てられていました。つまりこのあたりは、街道一本がまっすぐ通っていたわけではなく、亀岡街道を軸に吹田街道へ分かれる道、片山方面へ向かう道などがつながっていた場所です。

近い範囲に複数の道標が残っていることからも、この地域が人の移動にとって重要な結節点だったことがうかがえます。地図だけを見れば住宅街ですが、昔の人の目線で見れば「ここから、どちらへ行くか」を判断する場所だったのかもしれません。

「川」と「道」がつながる場所でもあった

ここで前回の高浜町編とも少しつながります。

南高浜町12番付近には「吹田の渡」の跡があります。吹田市は吹田の渡について、河川交通における吹田の玄関口であり、水運と街道による陸運を結ぶ要だったと説明しています。

神崎川を舟で運ばれてきた人や物が吹田へ入り、そこから街道を使って北摂各地へ向かう。逆に、北摂から運ばれてきた農産物などが街道を通って吹田に集まり、川を使って大坂方面へ運ばれる。

吹田の浜は「川だけの町」でも「街道だけの町」でもなく、水路と陸路がつながる場所だったからこそ栄えた。これが、今の高浜町・南高浜町・内本町周辺の歴史を理解するうえで大きなポイントだと感じています。吹田市自身も、この周辺を旧亀岡街道・旧吹田街道を中心に在郷町として広がり栄えた「吹田発祥の地」と位置づけています。

住所は「南高浜町」。でも地域の名前を見ると全然違う

今回調べていて、個人的に一番興味深かったのがここです。

現在の正式な住所は「吹田市南高浜町」ですが、吹田市の自治会一覧を見ると、南高浜町の中には今も南町・宮之前・六地蔵・都呂須町・神境町という自治会名が残っています。同じ「南高浜町」でも、場所によって地域で使われている名前が違うのです。

これは最近付けられた名前だけではありません。近世の吹田村についてまとめた『日本歴史地名大系』系の資料では、吹田村には侍内・六地蔵・河面・都呂須・宮前・堀・奥・浜ノ堂・西庄という九つの集落があったとされています。今の地図にはそのままでは出てこない名前ですが、六地蔵、都呂須、宮之前、そして周辺に残る浜の堂、西奥町、川面町などは、現在も自治会名や文化財の名称として残っています。

ただし注意も必要です。現在の自治会名を、そのまま「昔の村の境界」と考えることはできません。例えば「都呂須町」は南高浜町9番だけでなく内本町1丁目・2丁目にも広く残っており、「宮之前」も南高浜町と内本町の両方にあります。昔から使われてきた地域のまとまりと、現在の「○丁目・○番」という住所の区切りは必ずしも一致していないのです。

逆に言えば、自治会名などを見ることで、現在の住所の下に隠れているもう一枚の古い地図が少し見えてくるとも言えます。

「神境町」は地面の下からも歴史が出てきた

南高浜町の北側には、現在も「神境町」という自治会名が広く残っています。

この名前は呼び名として残っているだけではありません。南高浜町では「神境町遺跡」の発掘調査も行われており、吹田市教育委員会の報告によると、1994年の試掘調査で平安時代から室町時代にかけての遺構・遺物が確認され、その後「神境町遺跡」として周知されました。

南高浜町の歴史は、江戸時代の街道だけで始まるわけではありません。地面の下には、さらに古い時代から人が暮らしていた痕跡も残っています。今は住宅が建ち並ぶ場所でも、掘り下げれば何百年、場合によっては千年近い時間が重なっている——町の歴史を調べていると、そんなことに気づかされます。

昔の道が、今の町並みにも影響している

私はアイワホームで長く新築営業やリフォーム、賃貸、工事部門など現場の最前線を歩んできました。仕事柄、道路というと「幅は何mあるのか」「建築基準法上の道路か」「敷地は何m接道しているか」といった目線で見ることが多くなります。

しかし南高浜町周辺の道路を見ると、それだけではないことに気づきます。吹田市のまちなみガイドラインでは、この界隈には両手を広げた程度の幅の細い通りや、板塀・漆喰塀、生垣などが残り、それらが歴史的な町並みをつくっていると説明されています。

住宅地の中に残る細い道。少し曲がった路地。道の角に立つ古い道標。不動産としてだけ見れば「なぜこんな形なのだろう」と感じるものにも、その町ができてきた過程が関係していることがあります。

もちろん、現在の道路一本一本の形をすべて江戸時代までさかのぼれるわけではありません。それでも街全体を眺めれば、今の道路の下に昔の街道や集落の記憶が残っている——南高浜町は、それを感じやすい町の一つだと思います。

昔、本社があった町を改めて調べてみて

南高浜町は、私たちアイワホームが以前本社を置いていた町です。仕事で何度も通ってきた場所ですし、今でも旧本社の建物はこの町に残っています。

だからこそ今回改めて調べてみて、「そういう町だったのか」と思うことがいくつもありました。普段なら何気なく通り過ぎる南町道標。少し先にある六地蔵道標。道路沿いに今も残る「南町」「六地蔵」「神境町」といった名前。

それらを一つずつ見ていくと、今の「南高浜町」という一つの住所の下に、昔の街道、集落、人の移動が何層にも重なっていることが見えてきます。

高浜町が「川」なら、南高浜町は「道」から見えてくる

前回の高浜町編では、「なぜ高浜町には『浜』という字が付くのか」というところから、神崎川と舟運の歴史をたどりました。そして今回、隣接する南高浜町を調べてみると、同じ吹田の古い地域でも別の表情が見えてきました。

高浜町を「川」から見る。南高浜町を「道」から見る。そうすると二つの話は別々ではなく、川で運ばれた人や物と、街道を行き交う人や物が吹田で交わっていたという一つの歴史につながります。

現在の南高浜町は住宅街です。でも、江戸時代の道標は今もそこに立っていますし、地域には昔から使われてきた名前が残っています。次に南高浜町を歩く機会があれば、少しだけ道の形や道端の石にも目を向けてみてください。普段見ている町が、「今の住宅街」だけでなく「昔から人が行き交ってきた町」として、少し違って見えるかもしれません。

参考資料

  • 吹田市「内本町・南高浜町周辺のまちなみガイドライン」
  • 吹田市「文化財説明板一覧」
  • 吹田市「内本町・南高浜町周辺のまちづくり」
  • 吹田市「お住まいの住所から自治会を探す」
  • 吹田市教育委員会「吹田市埋蔵文化財発掘調査報告集1」
  • 『日本歴史地名大系』「吹田村」

今 利之(こん・としゆき)
アイワホーム株式会社 マーケティングディレクター
2005年入社、吹田の地で21年。新築営業・リフォーム・メンテナンス、賃貸、工事部門など、現場の最前線で歩んできました。


■ 1日でも早く、理想の暮らしへ 🏃💨
好条件の物件は、検討される方が重なる傾向にあります。
「まずは話を聞いてみたい」という気軽な気持ちで、一歩踏み出してみませんか?

【公式LINEで気軽に相談】
物件の詳細や、内覧のご予約はLINEが一番スムーズです。
👉 https://lin.ee/HTvVmlL

【アイワホーム公式サイト】
施工事例を見て、新しい暮らしのイメージを膨らませてください。
👉 https://aiwahome.com/

■ 吹田の「今」をチェック!
吹田を愛する私たちが運営する、地元の耳寄り情報サイトです。

吹チャン!: https://suichan.jp/ 📢

■ 公式SNSでルームツアー公開中 🎥
Instagram: https://www.instagram.com/aiwahomesuita/

YouTube: https://www.youtube.com/channel/UC4TWLt5U3X3ls6mDPsYIY8A

アイワホーム株式会社
本社:大阪府吹田市高浜町9-9 アイワステーションビルⅤ号館
フリーダイヤル:0120-359-395
※創業36年、吹田の地で家族の暮らしに寄り添う住まいづくりを。吹田の暮らしに、いちばん近い住宅会社でありたい。

アイワホームの
建売・分譲地

吹田にこだわった厳選物件 を
日々更新中です
気になる物件は 今すぐご見学予約を 
おススメします!